そろそろ決めなきゃ…が、夜ごとに強くなる

教員・先生

 

黒板のない教室で、自分に“問いを返す夜”──

それが
「教壇前夜」だ。

教壇前夜──「何百人と向き合ってきた教員が、
“たった一人の自分”に向き合う夜」

チャイムは鳴らない。
生徒の姿も、生活指導も、
採点すべきテストもない。

──ここは、誰かの前じゃなく“自分の前”に立つ
一度きりのホームルームだ。

「子どもたちの未来に火を灯してきた人が、今度は自分の心にそっとチョークを走らせる。」

授業準備に追われ、行事に振り回され、
保護者と社会との板挟み。
気づけば、自分の理想は、
“現実対応”という喧噪に埋もれていった。

いつしか、
「どんな生徒が来ても、どんな保護者が来ても──私はやれる」
そう言い聞かせながら、
“こなす日々”に慣れていった。

でも──それって本当に、
「自分が教えたかった」ことだったのか?
ふとした空き時間に湧いてきたその問いだけは、
教科書には載っていなかった。

先生と呼ばれることに慣れてしまった自分。
評価よりも、「背中を見せる」ことを選んできた自分。
それなのに、自分のこれからを、ちゃんと見てこなかった気がする。

このサイトには、
学年だよりも、時間割も、通知表もない。

あるのは、
「今度は、自分が何を学びたいのか?」
その問いに、そっと向き合うための
“夜の火鉢”だけ。

自分は、何を信じて教壇に立っていたのか?
何を育み、何を託してきたのか?
教えることで、自分は何を伝えてきたのか?

何かを教えるということは、
何かを信じるということだった。

ならば今夜は、自分の信じたものを、
自分自身に教え直す番だ。

・教え子たちは社会に出ていった。
・同僚は管理職を目指して進んでいる。
・だけど、自分は、どこへ向かうのか?

この問いに答えるには、
もう一度だけ、静かに自分を見つめる時間が必要だ。

「教えてきたこと」が終わりじゃない。

これから、自分が“学び直す”旅が始まる。
火鉢は、そんなあなたの新しいスタートを
何も言わずに、ただ待っています。

子どもたちの未来をずっと信じてこれたあなたなら、自分の未来にも、きっと火を灯せる。

教え続けた者だけが立てる、もうひとつの教壇。

「チョークを置いたあとに始まる人生がある」。それを信じた者たちが、ここにもいる。

© 2025 退官前夜